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新潟市から「ジェットフォイル」に乗り、約1時間船に揺られ、佐渡市の両津港に着き、そこから車で約30分、最初の目的地である「きらりうむ佐渡」(佐渡市相川三丁目浜町)に到着しました。

きらりうむ佐渡(左)佐渡金銀山への案内の看板(右)
「きらりうむ佐渡」は佐渡金銀山についての情報を発信するメインガイダンス施設として2019年4月20日にオープンしました。大画面スクリーンが並ぶ「ウェルカムシアター」では、世界遺産を構成する相川金銀山、鶴子銀山、西三川砂金山の3つの鉱山とその歴史が映像で紹介されていました。展示室では、近世に盛んに掘られていた鶴子銀山や相川金銀山を軸に佐渡金銀山の現在までの歴史を知ることができました。

きらりうむ佐渡の展示室にて展示された鉱山模型
その中でも今回は「小判作り体験」に参加させていただきました。
「小判作り体験」は金色か銀色の粘土を選ぶ場面から始まり、選んだ粘土をこねたり伸ばしたりした後、専用の型を使って、小判の形を作っていきました。また小判に押印する際のハンコを使用して自分たちなりのオリジナル小判をデザインしていきました。

小判にデザインする小林くん(左)小判の型を作っている佐藤(右)
小判作りは小林くんと談笑しながら手掛けていきました。江戸時代には佐渡で採れた金銀から貨幣が作られ、経済を回していたことに感慨に浸りながら作っていきました。掌に収まるサイズの小判をデザインする時は、現代の展示室に飾られるくらいのリアルなものにしていきたいと思い、全体に横線を入れるなど工夫を凝らしながら、進めていきました。
30分程時間を掛けてできたものがこちらです!

それぞれできあがった小判の型
私も小林くんもそれぞれの個性が出ている小判が作れたと個人的にはとても嬉しい気持ちです。
小判が焼きあがるまでの間、佐渡金銀山の歴史や特徴についての展示室を見て回りました。
「ウェルカムシアター」では佐渡金銀山が江戸時代の経済や貿易を支えていった背景や、佐渡に流れている川から砂金を採る過程などにふれることができました。

巨大な小判の模型をバックに撮影した様子
当時の人々の暮らしや佐渡金銀山で砂金が取れる様子、採掘から江戸までの運搬の殆どが機械を用いず、手作業中心だったことが衝撃でした。しかしその時代は生活そのものが手作業中心だったことも知り、現代の暮らしとのギャップも感じられました。
「きらりうむ佐渡」を後にして、私たちは観光施設「史跡佐渡金山」へ向かいました。
2024(令和6)年7月27日に登録された世界文化遺産「佐渡島の金山」を構成する鉱山の一つ、相川金銀山を見学できるのが「史跡佐渡金山」です。
観光坑道には電動ロボットを使って採掘の様子が再現されており、当時の雰囲気を楽しむことができます。

史跡佐渡金銀山
「史跡佐渡金山」では江戸時代の採掘坑道である「宗太夫坑」と明治時代以降でトロッコなどを使用した機械掘坑道である「道遊坑」の2つを見学させていただきました。
さっそく中へ入ってみると、坑道の中の気温が外の気温と全く違うことにまず驚きました。坑道は日光も差さず、地下の空間ということもあり、肌寒い空気が流れていました。
「宗太夫坑」のコースを歩いていくと、機械人形を用いて当時の砂金採掘の様子を再現した一角に到着しました。

機械人形で再現された砂金採掘の様子
採掘現場では視界に見える景色のみではなく、音声による人形たちの声や採掘音から現場ならではのリアリティと臨場感を楽しむことができました。またそれぞれの人形たちに注目してみるとほぼ全ての人たちが素手で作業を進めていたことに気づきました。現代の道具で言うと大工道具で扱われるノミとハンマーに近い存在である鏨(たがね)と槌(つち)と呼ばれる道具で岩盤を掘っていたと考えると、採掘を行っていた当時の労力は計り知れないものだと感慨深くなりました。
「宗太夫坑」のコースの最終部分では「やわらぎ」という採掘する前に硬い岩盤を少しでも柔らかくなることを山の神様に祈る金山独自の神事芸を再現させたものがありました。

やわらぎの儀式の様子
その光景はとてもダイナミックで見応えがありました。洞窟の中で楽器を持って演奏する姿は当時の人たちの願いや金鉱石を掘ることに本気になる熱に圧倒されました。
次に向かった「道遊坑」のコースでは採掘された鉱産物を運搬される際に使った線路やトロッコなどの痕跡が残されておりました。特に私が面白いと感じた部分でトロッコの大きさも大人2人が入れるくらいのサイズでしたが、その中に鉱石を満タンになるくらいに入れてもスピードを落とすことなく運搬できたことに衝撃を受けました。

トロッコが通っていた坑道の様子
また「宗太夫坑」のコースと違って採掘所で使われていた道具に頭に装着するライトや加工するための機械があるなど技術面での変化と進歩が感じられ、文明と時代の進みを俯瞰するように見るのは新鮮な気持ちになりました。

採掘所で扱われた機械を見学する様子
「道遊坑」のコースの坑道を抜けた後は佐渡金山のシンボルである地表から掘り続けてV字型の採掘跡が見られる「道遊の割戸」に着きました。暗く、狭く、冷たい空気が漂い続ける環境の中で採掘をし続けたことで江戸時代の経済に大きく貢献して現代に至るところから新潟として語り継ぐべき歴史であると感じました。
次に訪れたのは「佐渡奉行所」です。
「佐渡奉行所」は主な役割として金銀山の管理と運営、裁判所や市役所のような行政的な面を持つ御役所や金銀山で取れた鉱石を選鉱する工場である勝場(せりば)がありました。また奉行の住まいである御陣屋があり「佐渡奉行所」には歴代の代官や奉行の着任は102名にのぼるそうです。

佐渡奉行所の前で記念撮影
大きな門構えを潜り、最初に目に入ったのは奉行所の建物でした。入口のすぐ先にありましたが、門を通った後だと江戸時代の伝統的な木造建築から感じられる雰囲気や象徴を物語っている風格があり、その姿に圧倒されました。
「佐渡奉行所」の中では、部屋の種類が多く、それぞれが目的別に細かく定められていました。見学を行う際に地図を渡されたのですが、名前の書いてある部屋の数だけでも30部屋以上ありました。その部屋の中に現代の裁判所などの役割を持つ「公事方役所」や役所の人たちが会議を行う「大広間」があり、当時の仕事ぶりの工夫が伺えました。

御白洲で正座する様子
詫びさびを感じつつ、伝統と歴史に触れる体験で貴重な学びと楽しく見学をすることができました。歴史の教科書のみでは体験できない感覚と古き良き時代と現代の暮らしとのギャップを味わえました。

大広間で正座する様子
佐渡島観光レポート1日目の最後に「北沢浮遊選鉱場」へ行きました。
「北沢浮遊選鉱場」は鉱石を処理して金を取り出すために建設された選鉱と製錬の施設です。
佐渡市公式観光情報サイト「さど観光ナビ」の説明(https://www.visitsado.com/spot/detail0091/)によると、
「もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、日本で初めて実用化に成功したものです。戦時下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ、1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できることから「東洋一」とうたわれました」

北沢浮遊選鉱場
「北沢浮遊選鉱場」はコンクリートとレンガで建てられた建物が自然の緑と共存しているかのように佇んでいるようにみえました。どこか魅了されて見入ってしまう。そんな幻想的な風景が広がっていて、とても浪漫を感じました。
訪れた時刻も夕方であったことから、より一層の現実から離れた浮世絵や西洋の絵画の世界感が引き立っており、視覚や肌で楽しむことができる芸術のようで深く心に響きました。
今回の参加させていただいた佐渡島観光レポート1日目は全体を通して多くの発見や学びがありました。私自身、佐渡島に行くことが初めてで訪れた観光名所やホテルなどとは別に移動中も車から見える街並みや自然の雰囲気の良さが伝わって、佐渡ヶ島ならではの奥ゆかしさが感じられました。また佐渡金銀山巡りに関しても日本の伝統的な行事や歴史に触れることもでき、楽しみつつ濃密な時間を過ごせました。
この記事を読んで少しでも興味を持った方はぜひ佐渡島に脚を運んでみてください!
2日目の記事もぜひよろしくお願いします!
開志専門職大学 4年 佐藤拓磨
■きらりうむ佐渡
住所:〒952-1562 新潟県佐渡市相川三町目浜町18−1
TEL:0259-74-2215
■史跡佐渡金山
住所:〒952-1501 新潟県佐渡市下相川1305
TEL:0259-74-2389
HP :史跡 佐渡金山 | 公式サイト
■佐渡奉行所
住所:〒952-1531 新潟県佐渡市相川広間町1−1
TEL:0259-74-2201
■北沢浮遊選鉱場
住所:〒952-1539 新潟県佐渡市相川北沢町3−2
TEL:0259-74-2389
HP :北沢浮遊選鉱場 | さど観光ナビ