まじわる
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始まりは江戸時代と伝わりがちですが、実際はもっと昔から三条のものづくりの礎を築いてきたのだと長谷川さんは話します。鎌倉時代まで遡ると、大林遺跡から製鉄の際に不純物として大量に出る鉄滓(てっさい)や鞴(ふいご)の羽口が発見されたそうです。そのころから三条という地で三条の産業が始まっていたということが窺えます。15世紀半ばには、鋳物職人の鋳物師(いもじ)集団がすでに存在していたのだといいます。その背景には、鉄鉱石など鉱物資源が豊かな粟ヶ岳と三条まで続く河川といった恵まれた自然環境がありました。こうして町人文化が花開く江戸時代に繋がったそうです。
その背景には、鉄鉱石など鉱物資源が豊かな粟ヶ岳と三条まで続く河川といった恵まれた自然環境がありました。こうして町人文化が花開く江戸時代に繋がったそうです。
他の地域では見られない、三条の金物だけの特徴を尋ねました。日本には新潟・三条を含め7つの産地があり、唯一三条だけが異なった製法を行っているのだと長谷川さんはいいます。その製法とは、実際に鋼と鉄を熱で接合する作業を組み込むことです。これが、国から指定された打ち刃物の伝統工芸品となっています。他の地域では複合材としてすでに接合したものをメーカーにオーダーメイドすることが主になっているようです。「日本の資源の少なさから、鉄と鋼を接合したほうが合理的であると先人たちが気づき、考えたのではないか」と話していました。昔の人の知恵が込められて現代までその技術が続いているとは、非常に感慨深いものがあります。
長谷川さんの「人はいつの時代でも工夫して生きている」という言葉がとても心に残りました。
長谷川さんに職人さんの技術や工夫についてお聞きしたところ、職人は体で覚えると教えていただきました。見て覚えられるかが重要だそうです。金物を作る上での苦悩はよくあるそうで、金物作りの技術は毎日更新されていくため正解がないそうです。しかしそれが面白いとおっしゃっていました。私もペーパーナイフ作りを体験させていただきましたが、指の感覚でほとんど同じものを作る職人さんは本当にすごいと思いました。
長期的な課題として「後継者をどう育てていくか」を挙げていました。印象的だったのは、その原因が「やりたい人がいないのではなく、やりたい人がたくさんいるにも関わらず受け入れ手が見つからない」ということでした。三条市からの支援はあるものの、親方となる職人の高齢化などもあり若者の受け入れ先が少ない状況が続いていることに非常にもどかしさがあるようでした。今修行している若い世代が次々に職人となり、さらに受け入れ先が増えて、今後より活発な鍛冶産業が見ることができるようになることが楽しみです。
「長谷川さんにとって三条鍛冶道場はどんな存在ですか」と投げかけたところ、「三条の基本的なものづくりの出発点であり、将来に残し、つないでいきたいものです。なくなってしまうと、三条の灯が消えてしまうのではないかと思います。」という力強いお言葉をいただきました。長谷川さんはこの場所で得られる中身も充実させ、常に新しいことに挑戦していきたいと話していました。実はペーパーナイフ作り体験事業も長谷川さんが提案し実現したものでした。三条市の条例との関係や実現可能性の検討などが課題となり、許可が下りるまで1~2年かかったそうです。
このようにして、三条の金物と私たちの「交わり」の機会がここ「三条鍛冶道場」に誕生しました。まだまだアイデアがたくさんあり、将来現実のものにしていきたいのだと長谷川さんは話します。長谷川さんの、「三条鍛冶道場」に新しい風を吹かせていきたいという思いや可能性を広げていきたいのだという熱意を感じました。今後も長谷川さんの新しいアイデアが実現し、三条鍛冶道場が進化し続けることが楽しみです。
第1回の連載は三条鍛冶道場の長谷川館長に「三条の鍛冶文化」についての魅力を伺いました。次回第2回目の連載は神奈川県から移住してきた若手職人さんに迫ります。ご期待ください。
三条鍛冶道場
〒955-0072 新潟県三条市元町11-53
アクセス:JR北三条駅から徒歩3分
JR上越新幹線 燕三条駅から車で10分
北陸自動車道三条・燕ICから車で10分
TEL : 0256-34-8080 FAX : 0256-34-8081
休館日 :毎週月曜日(祝日の場合は翌日)/臨時休館日12/29~1/3
2024.09.11 JOIN
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