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<取材させていただいた長嶋直人さん>
― 長嶋さんは調理師専門学校に通われていたとお聞きしましたが、その頃からお店を継ごうと考えていたのですか?
長嶋さん:専門学校では、1年生の間は和食・洋食・中華を全部習い、2年生から選択科目だけをやるという形だったんです。1年生の時はイタリアンやパスタのような洋食の方がおしゃれだしかっこいいなと思っていてやりたかったんです。でもいざ2年生になって選択する時に、やっぱり実家が和食屋だということの意識があって、和食を選択しました。それで後に引けなくなって、実家を継ぐことにしたんです。
― 専門学校時代に「和食がいいな」と思ったきっかけなどはありましたか?
長嶋さん:そういうのはなかったですね。やっぱり実家が和食をやっていたので、それに影響されたというのが大きいと思います。ただ、授業の研修旅行でいろいろな料理屋さんに食べに行くことがあったんです。そこで苦手だったしいたけの出汁がおいしいと感じたり、あまり好きではなかった魚も好きになったりと、その研修で和食のおいしさに気付くことができたというのはありましたね。
― なるほど。きっかけの出来事があったというよりは、和食に親しみがある実家の環境や和食のおいしさを知っていった経験の積み重ねが大きかったという感じでしょうか?
長嶋さん:そうですね、そんな感じです。
<取材を受ける長嶋さん>
― 専門学校を卒業後、下積み時代に何か印象に残ったことはありますか?
長嶋さん:下積み時代は亀田の和食屋と古町の寿司屋で修行しました。最初の亀田の和食屋はとにかく辛かったです。自分以外はみんな50、60代とかなり歳が離れていて、話が合う人がいませんでした。辛い思い出ばかりではありませんが、総じて思い出すと大変だったことの方が多かったです。でも、ここで辛い思いをしなかったら実家に帰って来ようとは考えなかったと思います。学校では得られなかった、働くことの大変さを学べたので、自分にとって必要な体験だったと思います。
― そうだったんですね。次の古町のお店では、環境に変化はありましたか?
長嶋さん:全然違いましたね。亀田の和食屋とは違い、古町のお店は完全に寿司のみを提供していたんです。正直、亀田のお店で和食を習っていた時は、寿司は和食の延長に過ぎないと思っていたんです。魚さえ下ろせれば、後はシャリを炊くだけで、寿司なんて簡単にできるという感覚だったんですよ。でも、いざちゃんとした寿司屋に入ってみたら、魚の扱い方が寿司以外の和食と違いました。寿司はネタとシャリしかないからこそ、こだわるところや突き詰め方が全然違っていて。例えば下ろし方ですね。アジを3枚に下ろすのか、アジフライみたいに開くのか、とか…。しめさばも、塩や酢でしめる時間が決まっていて繊細だなと感じました。古町の寿司屋で学んだことは今も活かされていると思います。
― 下積みを経てお店に戻って来てお仕事をするうえで、やりがいはありますか?
長嶋さん:古町の寿司屋では、自分と親方の2人で料理をしていたので、仕込みを任せてもらっていたんです。カウンター式のお店で、お客さんの「おいしい!」という感想が直接聞こえてくるんです。ですが、自分が仕込んだ魚だったとしても、その言葉を向けられるのは実際に寿司を握った親方じゃないですか。それでちょっと欲が出てきて、自分が握った寿司で、お客さんから直接感想を聞きたいなと思って。実家を継いで自分で寿司を握るようになって、「おいしい!」とか「また来るよ」と言ってもらえた時に「時間をかけて仕込んで良かったな」と感じることが、嬉しい部分でも楽しい部分でもあります。
― 昔は「ながしま食堂」という名前だったような気がしますが、何か変わったことはありますか?
長嶋さん:ながしま食堂は、曾祖父の代ですね。新型コロナウイルス禍で一時的に店を閉めた時に、苦渋の決断ではありましたが昔ながらのラーメンなどのメニューを取りやめました。寿司をメインに提供するようになったのは自分の代からですが、寿司を目当てに来てくれるお客さんもいるので、良い選択だったなと思っています。
―「鮨 和食 ながしま」は、新発田駅から近い立地や、地域に根差したお店という印象がありますが、営業するうえで新発田市という場所への思い入れはありますか?
長嶋さん:本当は、自分が修行していたお店のような、完全予約制の高級店みたいにしたいという気持ちがありました。でも、観光で来てくれたお客さんが気軽に入れないというのは、駅を降りてすぐの、新発田市の玄関口のお店としては違うのかなと思って。だからランチは1,000円ちょっとで食べられますし、夜も完全予約制にはしていません。また、新発田市には4つの酒蔵があるので、その地酒は全部置くようにしています。うちの店でまず新発田市を知ってもらおう、楽しんでもらおうという気持ちでやっています。
<お店は新発田駅の目の前。まさに玄関口です!>
― 話は変わりますが、休日の過ごし方や趣味があれば教えてください。
長嶋さん:休みの日は必ず外に飲みに行くようにしています。お酒が好きなのもありますが、勉強も兼ねてって感じで。また、飲みに行くことで1週間を区切り、自分の中でリセットするためというのもあります。趣味は、最近始めたばかりですがギターを弾くことです。下積み時代の趣味はランニングでした。親方が趣味でランニングをしていると聞いたので、親方を誘って一緒にフルマラソンに参加しました。新潟シティマラソンにも4回参加したことがあります。今は全然走っていないですけどね(笑)。
― それはすごいですね!休日は飲みに行かれるということでしたが、どのあたりに行かれるんですか?
長嶋さん:新潟市が多いですね。特に古町の辺りです。日本酒が好きで、新潟のお酒だけでなく、飲んだことのない県外酒を飲むのが好きです。
― 今回長嶋さんを紹介してくださった、「Pizza tarutaru-タルタル-」の赤澤さんとは、どんなきっかけで知り合ったのですか?
長嶋さん:赤澤くんとは専門学校時代の同級生だったんです。当時はあまり交流がありませんでしたが、うちの店に来てくれるようになって交流が増えました。最近も仕事終わりに来てくれるんです。赤澤くんのお店でコラボ商品を出してもらったこともあります。しめさばのピザとか、南蛮エビのピザとか…。とても美味しかったです。赤澤くんが今後も何かコラボを考えているかもしれません(笑)。
― 今後のお店の展望や、続けていきたいことはありますか?
長嶋さん:昼は飛び込みのお客さんが入りやすいようなリーズナブルなランチ営業を続けていくつもりです。ですが、もう少し料理に集中したいという気持ちもあるので、夜はコースの値段を上げていきたいと思っています。
― 最後に新潟の若者に一言、メッセージをお願いします!
長嶋さん:新潟は、発信がうまくできていないだけで魅力がたくさんあると思うんです。山の幸も海の幸も揃うところとか、縦に長いので地域によって季節の感じや表情が違っているところとか。そんな新潟の良い部分を見つけて発信していってほしいと思います。
長嶋さんは、新発田市の玄関口という立地を生かしてギュッと詰まった新潟の魅力を発信していました。より良いお店づくりのために日々努力を続ける姿勢、感服です!
次回は、柏崎市で弁当屋『THERE IS NOEND』を経営し、野菜ソムリエでもある中村奨さんを紹介します。お楽しみに!
住所:新潟県新発田市諏訪町1-2-10
電話:050-5485-0456
HP:https://sushi-washoku-nagashima.gorp.jp/
Instagram:@nagashima__shibata