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2024.02.16

フードバンクつばめ 玉橋尚和さん|(#友達の輪vol.17)【これまでを活かして 地元の笑顔を増やすために】

レクチェ
新潟で活躍している人々のつながりに迫る企画、「友達の輪」シリーズ第17弾。
今回は第16弾で取材をした「グランヴォーチェ柏崎」の代表者、飯塚大介さんからご紹介していただいた、「フードバンクつばめ」の玉橋尚和さんです。様々な地域活性化に関わる活動をされている玉橋さんですが、その経歴、経緯にも要注目です!

  • 1. 玉橋さんと飯塚さんのご関係
  • 2. 自衛隊から大学院進学までの経緯
  • 3. 大学、大学院で学んだこと
  • 4. 総務省での仕事
  • 5. 「フードバンクつばめ」について
  •  ・つばめベース
  •  ・新潟コミュニティフリッジ
  • 6. 玉橋さんの考えと今後の展望

1.玉橋さんと飯塚さんのご関係

 

―(前回取材である)グランヴォーチェ代表、飯塚さんとはどのようなご関係なのでしょうか?

 

玉橋さん:彼とは高校の同級生です。一緒にサッカー部に所属していたんですけど、彼(飯塚さん)はスポーツも勉強も得意でした。(飯塚さんの)実家が柏崎市なので、卒業後もよく一緒に飲みに行っていましたね。

 

 

2.自衛隊から大学院進学までの経緯

 

―では早速、玉橋さんのキャリアについてお聞きしたいのですが、自衛隊から大学院に進まれた経緯を教えてください。

 

玉橋さん:

まず、自衛隊に入隊を決めたきっかけは中学三年生の時に起きた中越沖地震(2007年)です。災害派遣で来ていた自衛官が活動する姿に憧れて、入隊を決めました。当時、映画の「Top Gun」が好きで、戦闘機のパイロットになるために航空自衛隊に入隊しました。でもパイロットにはなれず、大学への入学を決めました。自衛隊の生活の中では勉強の時間はなかったんですけど、隙間時間を見つけては必死に勉強していましたね。その後、大学で学ぶ中で環境を変えてもっと学びたいという思いが強くなり、大学院に進学しました。

 

(自衛隊、大学、大学院時代のお話をされる玉橋さん)

 

―自衛隊と勉強の両立はとても凄いですね!

 

玉橋さん:自衛隊では消灯時間になると、一斉に宿舎の電気が消えるんです。しかし、なんとかトイレなどで灯りを見つけて、単語帳を見ていました。リアル「蛍雪の功」ですね(笑)。

 

-大学、大学院の受験はとても大変だったと思いますが、何をモチベーションにしていたのですか?

 

玉橋さん:

当時のモチベーションは三つあったんです。一つは単純に憧れですね。もう一つは挫折です。パイロットになれなかったっていうのもあり、それなら心機一転したいなって思いがありました。三つ目は環境を変えたいという思いですね。

 

-その三つの思いで頑張ってこられたんですね・・・。

 

3.大学、大学院で学んだこと

 

―大学、大学院ではどのようなことを学んでいたのですか?

 

玉橋さん:

学問的には安全保障や国際政治ですね。自衛隊をやっていたので学問の興味もその辺りでした。

 

大学院ではまた打って変わって、今(仕事で)やっている地方自治とか地域活性化についてです。地方をどうしていくかの方法って、一つの法則では語れないんじゃないかって思います。100の商店街があったら、その商店街に合わせた100の方法があるっていうのを学べたのが大学院ですね。大学と大学院で共通の学びを挙げるなら、そういった価値観の違いはむやみやたらに一般化できない、法則化もできない、そんな学びかもしれないです。

 

 

4.総務省での仕事

 

-フードバンクつばめに来る前は総務省に勤めていたとか・・・。その時はいかがでしたか?

 

玉橋さん:

そうですね・・・。社会人2年目が本当に大変でした。兵庫県庁へ出向していたのですが、新型コロナウイルスが流行してきたんです。

 

そこからは病床確保をはじめとした、色々な計算や手配をしていましたね。例えば、当時ホテル1棟貸し切って、宿泊療養施設にしたことが有ったかと思います。それを用意するのにどれくらいお金かけるかなどの緻密な計算をしていました。

 

扱っていた予算が莫大で、結構なプレッシャーでしたね。ただ、今になってみると兵庫県で鍛えてもらったのは良い経験になっています。

 

-社会人2年目でそれはちょっとぞっとしますね・・・。

 

玉橋さん:もう一生やりたくないですね(笑)。

3年目は総務省に戻ってきて、地域振興室という、様々な施策を通じて地域活性化などについて担当する部署に配属になりました。しかし、5月になったらまた新型コロナウイルスが流行してきて・・・。

 

総務省は地方自治体に対してパイプや権限があります。そのため、総務省でも何かできないかということで、専門対策部署が立ち上がりました。私もここに所属することになり、地域振興室との併任になりました。

 

(インタビュー中の玉橋さんと学生たち)

 

3年目は交付税課という部署に異動しました。総務省の地方自治分野で特に忙しい部署の1つとされていますね。説明が難しいですが、簡単に言うと地方自治体の財源を国の方からも交付することを「交付税」といいます。それを各自治体へ計算して配分する、というのが主な仕事ですね。

 

全体での金額が「兆」円単位なのですが、それを20人ぐらいで配っていたんです。1人あたり億、兆円単位の金額を持って配る仕事を、今年の8月末まで行っていました。

 

-目まぐるしい仕事でしたね・・・。

 

玉橋さん:本当に、総務省時代はそんな感じかもしれないです。

 

 

5.「フードバンクつばめ」について

(つばめベース外観)

 

玉橋さん:そんな総務省を2023年8月末に退職して、同年9月中旬ぐらいに燕市に戻ってきました。フードバンクつばめの近くに私の実家があるのですが、戻ってきたときに理事長がちょうどこの施設を作っている途中だったんです。

 

-理事長とはどちらで知り合いになったんですか?

 

玉橋さん:理事長とは、僕が大学院生だった頃に知り合いました。そこからのご縁があって、一緒に仕事をやらないかとお声がけいただいて、フードバンクつばめのメンバーに加わったっていう感じですね。

 

オープンしたのが2023年11月1日なんですが、同年9月中旬から1ヶ月半ぐらいの間、どうやって運営していくか、広告費用を具体的にどうするかなど、ゼロから組み立てていました。どうやって管理運営していくかなどは、総務省時代における専門分野なので、組み立てるのに全然苦にならなかったです。オープン以来、子どもたちもたくさん来るようになりました。

 

(つばめベース:館内には駄菓子売り場や卓球台も!)

 

―もともと、大まかな事業内容は理事長が決めていたんですか?

 

玉橋さん:

そうですね。ただ、ほかに参考にした施設がありまして。この施設は「つばめベース」という名前ですが、ほぼ同じ形で「三条ベース」さんがあります。三条ベースさんから施設の仕組みや運営方法を教えてもらって活かしています。卓球台を置いたり、小上がりに漫画を置いたり、物々交換ができる場所を作ったりなどですね。

 

三条ベースさんにもない取り組みとしては、新潟コミュニティフリッジや、子ども食堂の運営を事業で得た収益でやるとかですね。特に新潟コミュニティフリッジは県内では初の取り組みです。

 

(宮町食堂:普段は一般的な食堂として営業。その事業収益で子ども食堂を運営している)

 

(つばめベース:奥には物々交換の衣服がずらり。利用者が使えるハンモックも設置されている)

 

-新潟コミュニティフリッジとは・・・?

 

玉橋さん:

新潟コミュニティフリッジは、生活に困難を抱える世帯が、時間や人目を気にせず、都合が良い時に食料品・日用品を取りに行ける仕組みです。

食料品や日用品は近所の農家の方や、ご協力いただいている団体から寄付されています。

 

その物品を、新潟コミュニティフリッジに登録している利用者はいつでも好きな時間に受けとりに行けるんです。現在は350世帯が登録していますね。

 

(新潟コミュニティフリッジ内部:利用者は好きな時間に利用できる)

 

―オープン直後なのに350世帯ってすごい数ですね。(※取材日の2023年12月時点)

 

 

6.玉橋さんの考えと今後の展望

 

―玉橋さんのキャリアに戻ります。総務省を退職されて、そこから声をかけていただいてフードバンクつばめを始めたと仰っていましたが、声を掛けられる前はどんなキャリアプランをお持ちだったんですか?

 

玉橋さん:

そもそも新潟に戻ってこようと思った理由が、自分のキャリアに現場感が欲しかったからです。総務省時代は大きなお金を動かしていたので、今度は実際に身体を動かしたかったですね。

 

一般企業に転職することも考えましたが、まずは「NPOなどで働いてみたいな」っていう思いもありまして。声をかけていただいた時と、やりたいと思った時期がばっちりはまりました。

今後どの道に行くにしても、軸として燕市や地域に関わる活動をしたいですね。

 

―大学時代のモチベーションは憧れ、挫折、環境を変えるというお話でしたが、現在の活動のモチベーションはなんですか?

 

玉橋さん:

やっぱり、目に見えて子どもたちが来るようになったこと。それと、以前はシャッター街だった場所が、今はフードバンクつばめをはじめとした、他の頑張っている若者たちによって、目に見えてこの街が良くなっているのが体験出来ています。それが今一番のモチベーションかもしれないです。

 

―街が良くなったっていうのを感じ始めたのはいつ頃からですか?

 

玉橋さん:

2018年の2月に、インターン生の宿泊施設「つばめ産学協創スクエア」ができました。1つの企業だけへインターンに行くよりも、複数の企業のインターンに参加してもらって、学生のインターン体験をより豊かなものにしたいという考えがあったようです。

ちなみに、その隣にある銭湯「玉宅湯」が私の実家なんですよ!

 

(玉橋さんの実家、「玉宅湯」の前で一枚!)

 

その1年後くらいに、今度は神奈川県から世界1周を4年間かけて達成し、縁も所縁もない燕市でゲストハウスをオープンした方も出てきて、また活気のある建物と場所ができました。

その後、ドライフラワー屋さんが出来たり、デザイナーさんがオフィスを構えたり、徐々に盛り上がってきまして。ここ3年くらいであっという間に活気づいたと思います。

 

―今後やりたいこと、展望はなんですか?

 

玉橋さん:

フードバンクつばめは、まだ道半ばだと理事長がよく仰っています。今後は施設を吉田、分水地区にも作りたいと考えています。そしてこの取り組みをロールモデルとして、全国に普及できたらいいなと思っています。これがフードバンクつばめの今後の展望になります。

 

(つばめベースの願い)

 

私個人としては、地域の役に立つことは絶対やりたいですね。総務省は人の顔が見られない、誰からもありがとうと言われない、どちらかというと批判も多い職種でした。

しかし、今は利用者の反応が直接見られるのでとても嬉しいですね。

 

― 新潟に戻ってきてから、色々な人の反応や笑顔が見られるようになったんですね。

 

玉橋さん:そうですね。新潟に戻ってきてからだいぶ見られました。時々、つばめベース内にある駄菓子の店番をするんですけど、子どもたちからありがとうって言われますし、やりがいを感じますね。

商店街の人とイベントを開催するのも1つの手だと思いますし、このままここで施設の運営をするのもいいと思います。どんな形であっても、燕市の周りで活動していたいですね。

 

 

 

玉橋さんの過去・現在・未来についてお話を伺ってきました。より良い場所にしていくために活動する姿に感銘を受けました!

 

次回は玉橋さんの紹介で、新越ワークスの山後隼人さんをご紹介いたします。お楽しみに!

フードバンクつばめ・玉橋尚和さんの「たすいち」

「たどり来て未だ山麓」

■特定非営利活動法人フードバンクつばめ

「つばめベース」

住所:〒959-1258 新潟県燕市仲町3-10-1

TEL:0256-46-8805

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