はたらく
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ノーベル賞が90周年を迎えた1991年、記念の節目と当時のノーベル財団の最高責任者の引退に合わせて、新しいオリジナルのテーブルセッティングとすることになりました。それに向けてプロジェクトが発足。当初はスウェーデン国内のメーカーで揃えようとしたものの対応が難しく、ヨーロッパをはじめとした海外のメーカーにも照準が定められました。その際、スウェーデンに輸出されていた洋食器の95%が弊社の商品で占められていたことと、プロジェクトのデザイン担当者だったデザイナーと長い付き合いがあったことから、弊社が選ばれました。
このプロジェクトでは、歴代の受賞者や王族、総勢3000名分のカトラリーセットの依頼がありました。この3000セットは無償で提供しましたが、弊社の職人たちには名誉ある挑戦となりました。当時の社長もストックホルムに招待され、授賞者たちと共に晩餐会に参加。その際、カトラリーの品質が非常に高く評価され、使用されたことは夢のような出来事だったと語っています。
晩餐会での評判を受け、女王陛下から販売の許可を得ることができ、国内外での販売が開始されました。これにより弊社の知名度は飛躍的に向上し、ノーベル賞の発表時期になると、毎年多くの取材や問い合わせが増えています。現在ではライセンスの関係で販売は行っていませんが、その影響力は今も続いています。
実際にノーベル賞で使用されたカトラリー
シンプルなデザインに関しては、グラスのデザインに合わせて作りました。通常は同じデザインのもので統一するのがセオリーですが、北欧は魚料理が有名で、魚用のフォークとナイフはデザイナーさんの依頼で魚をモチーフにしました。これがとても評判がよく、魚のスプーンは様々な国から注文が来るようになりました。国によって色を変えてほしいといった要望もありました。
デザイナーさんが北欧の方でシンプルなデザインを好むので、シンプルで使いやすいことをモットーとして重要視していました。当時、製作に携わった者によれば、シンプルなデザインなので製造する上での難しさはなかったようですが、デザイナーさんの「丸みはなくさないで欲しい」といった要望に応え、ノーベル賞で集まる世界中の天才に認められるようにしっかりと作り込まなければならない、というプレッシャーはあったそうです。難しさより、そういったプレッシャーの方が大きかったそうです。
当社だけでなく業界では職人さんの高齢化が進んでいて、担い手が少なくなってきている現状があります。
燕市では家の脇に小さな小屋があると、そこが職人さんの工場になっていることが多いんです。商品を完成させるまでに、そうした専門の職人さんに外注している部分もあります。一流の技術をすべて一社だけでまかなおうとすれば、相当なコストがかかるし、作業効率も悪くなりますから。
けれど、新型コロナウイルスの影響から、業界全体で仕事がなくなった時期があり、そこで引退する職人さんが一気に増えました。仕事もないし、もう年齢も高いし…ということで。
そうなると外注の職人さんにお願いできなくなり、前のように作業が進まなくなりました。ほかの職人さんにお願いしようとしても、他のメーカーさんも同じ状況で、一か所に全部が集中して全然仕事が回らなくなるといった現象が起きてしまいました。
こうした状況を不安に感じた燕市は、後進の育成のようなものを始めました。
当社も今から若い人を積極的に雇って、見て覚えてもらうようにしています。将来を見据えて作業してもらうんです。
ただ、工場は昔ながらのものを今も使っている状況なので、正直、最先端というわけではありません。ですので、若い方には「こういう環境ですけど、いいですか」と提示して雇う形になっています。
育成についても、見て覚える世界なので、実際に入社して隣で見ながらやってもらう方法しかないんですよ、正直なところ。でも、うちを含めて、どのメーカーも若い人を探しています。業界全体がウェルカムです!!
工場見学をする様子
山崎金属工業の創業時、最初に手がけたのは進駐軍から依頼された洋食器の製造でした。その後も、海外メーカーの商品を受注し続け、自社オリジナルの商品はありませんでした。しかし、製造を続ける中で、海外と日本では作り方に大きな違いがあることに気づきました。
日本国内の他社の商品は日本人向けにサイズが小さくなっています。これは日本人に使いやすいためでもありますし、小さい分、価格を抑えることができます。
一方で、山崎金属工業の商品はどんどん大きくなっています。海外メーカーの商品を手掛けながら、彼らの作り方を学んできたのも理由の一つです。
私たちは、「勉強させてほしい」という謙虚な姿勢で製造してきました。他社と比べると歴史は浅いため、過去には特に海外のメーカーから多くを学びながら、手間を惜しまずに使いやすさを追求する製品作りに励んできました。
今の山崎悦次会長は世界中を飛び回り、多くの知識や技術を持ち帰り、その知見を製品作りに生かしてきました。「どう作ればいいのか」と海外メーカーに教えを請い、経験を積んできました。それをずっと続けてきた結果、当社は日本独自の製造方法に固執せず、ヨーロッパの手法を取り入れる数少ない企業となりました。
低姿勢で教えを請い、信頼関係を築いてきましたので、海外で当社のオリジナル商品を販売することになったとき、現地の一部のメーカーさんから反発もありました。当社への製品を評価してもらっていたからこそ、ライバルとして反発されたのかなとも思いますが、逆に「山崎だったらいいよ、こんなに良いデザインなんだから、もっと広めないともったいないよ」と言ってくれた会社さんもいました。
こういったこともあって、他社ともしっかりコミュニケーションし、なおかつ分からないことは教えてもらい、できることはしっかりやるという積み重ねで今があります。
展示会に行けば海外メーカーさんから声を掛けてもらえますし、「こういうのを作りたいんだけど、お宅でできないか」と話がくることもあります。初めての挑戦でも断らずに一度やってみて、「これをこうするとできます」というやり取りをしながら、信頼を得てきているのかなと感じています。
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