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2024.04.04

CHOCOLATERIE NOIROUGE 平山拓徳さん① 自分のお店を持つまでの経験

キャンバス
高級感あるボンボンショコラのイメージにぴったりなCHOCOLATERIE NOIROUGE(ショコラトリーノワルージュ)さん。そこはまるでジュエリーショップのような世界。今回はオープンして2年の新潟市西区にあるCHOCOLATERIE NOIROUGE オーナーの平山拓徳さんにお話を伺ってきました。第1回は、平山さんが自身のお店を持つまでの経験談です。

<プロフィール>

平山拓徳さん

高校卒業後、製菓専門学校「えぷろん」に進学。卒業後は大阪の「ムッシュマキノ」、ザ・リッツ・カールトン大阪(ホテル)、ワーキングホリデーでカナダトロントにあるリッツ・カールトントロント、トロント郊外のデュオパティスリーで経験を積み、現在に至る。

 

-製菓の専門学校に進学したのは元々製菓に興味があったからなのでしょうか。

 

平山さん:そういうわけではなくて・・・。高校3年生の時に進路に迷っていたんですが、英語の勉強がしたかったんです。しかし、新潟県内で英語が出来そうな国公立大学が無くてどうしようかなって時にたまたま「えぷろん」のCMを見ました。当時、僕が高校3年生の時に「えぷろん」で働いていた女性の方がお菓子の技能五輪で優勝していて、それを見て何も知らない状態でもお菓子を作れるようになると感じて「えぷろん」に行こうと思いました。なんとなくと言えばなんとなく、ですね。

 

 

-えぷろん卒業後に行ったムッシュマキノはケーキの専門店ですが、その時はまだチョコ作りとは無縁だったのですか。

 

平山さん:いや、学生のときに授業でやって面白いなって思いました。でもケーキ屋さんの仕事が忙しすぎて・・・。朝7時スタートで夜が10時終わりという、今考えたらブラックですよね(笑)。でもすごく勉強になりました。クリスマスには朝4時スタートで夜中の2時終わりという日とかありました。

 

 

-22時間・・・。

 

平山さん:当時は目の前の仕事をこなすのに精一杯で他のことは考えられませんでした。ただ、お菓子の勉強はすごくできました。でもここでのベースがあって今があるので、そこで学んだ事は大きかったです。厳しくてお菓子の勉強を辞めた人もいるかもしれないけど、僕はそれを美化している訳でもなくその経験は自分にとって大事だったと思います。

 

 

-ムッシュマキノとは何かつながりがあったのですか。

 

平山さん:学校の紹介です。洋菓子を担当していて尊敬している先生が元々修行していたお店というのもあって行きました。

 

 

-就職するときに後に新潟に帰ってくるという考えはありましたか。

 

平山さん:ずっとありましたね。新潟に帰ってくるという前提で大阪に行きました。当時は新潟に帰ってきてお店をやるという漠然とした考えでしたね。新潟は食べ物がおいしいので。大阪で実際に働いてみると、良くも悪くも競争がすごいなと感じました。それもあって、自分のいいところを伸ばすために海外に行きました。SNSが普及している今、世界中や関東、関西のレベルの高いお菓子屋さんの情報が簡単に見られるからこそ新潟に合わせるのではなく、どこに出してもおいしいと言われる気持ちで仕事をしています。

 

(オーナーの平山さん)

 

-ムッシュマキノの次に行ったザ・リッツ・カールトン大阪へはどのようなきっかけがあって行ったのですか。

 

平山さん:コンクールに挑戦したいと思ったのが一番のきっかけですね。ムッシュマキノでも仕事終わりに練習や試作はやろうと思えばできました。ただ夜の10時に終わって、そこからまた12時くらいまで練習や試作して、それでまた朝7時から仕事するのが正直きつくて・・・。当時はホテルで働く人がコンクールにも多く出ていたのでホテルに行ったら時間もとれるかなって思って移りましたね。

 

 

-実際にホテルでの勤務時間どんな感じでしたか?

 

平山さん:ホテルって都心部にあるから郊外から通うとなると早起きはしないといけなくて(笑)。ムッシュマキノで働いていたころは朝の6時40分に起きて間に合っていたんですけど、ホテルで働いていた時は6時には起きないと間に合いませんでした。休みは週休2日だったんですが、働いている時間とコンクールの練習や試作をしていると結局帰ってくるのは終電で深夜1時くらいでした。どこ行ってもやろうと思ったら大変だなというのは感じました。仕事自体は夕方5時、6時には終わって残業代もしっかりついていました。

 

 

-ホテルでは初めからチョコレート部門で働いていたのですか。

 

平山さん:初めは違いました。元々チョコレート部門にはシェフとアシスタントの2人がいましたが、僕が(別部門に)入って1年経たないくらいの時に当時の(チョコレート部門の)シェフが退職すると同時にアシスタントの人が次のアシスタントを探していて、声をかけてもらったのでチョコレート部門で働くことになりました。でも1年もしないうちに、その声をかけてくれた方が昇級して他の部署に行ってしまったので、(チョコレート部門の)僕が責任者になりました。僕はだいたい1年半くらい責任者やっていました。

 

 

-ワーキングホリデー先のカナダでは言語の壁はどうでしたか。

 

平山さん:苦労しましたね。カナダに行くと決めてから1年位は英語に慣れるために英会話スクールに行っていました。でもいざ行って見たら全然通じなかったです。現地でも2か月語学学校に行って、その時はかなり勉強しました。お菓子の勉強より英語の勉強ばっかりしていました。語学学校には結構日本人がいてそういう人は(英語を)話せないからジャパニーズレストランで働く人が多いです。たまたま僕はリッツ・カールトンのつてで、リッツ・カールトントロントで10か月働きました。言葉は話せなくてもお菓子に関しては何言っているかだいたい分かったし、レシピ見せられたらある程度は理解できたのでそこまでは困らなかったです。でもコミュニケーションという部分でネイティブな人たちはいるから、そこは勉強になりました。ホテル内に日本人も数人いたけど基本的には英語でしたね。文法も大事だけどまずは発音が良くないと通じなかったですね。

 

 

-実際にお菓子の勉強と英語の勉強の割合はどうでしたか。

 

平山さん:初めの1年くらいは10:0(英語:お菓子)でしたね。お菓子の勉強は全くしてなかったかな。ホテルでの仕事が終わったら家かカフェで英語の勉強をして、時々友達とご飯に行って感じでした。

 

 

-リッツ・カールトントロントの後のデュオパティスリーでは主にどんなことをしていましたか。

 

平山さん:そのお店は主にケーキ、クロワッサンのお店ですごく人気店だったので、午後2時、3時には全部売り切れでそれ以降販売するものが無いという状態でした。デュオパティスリーのオーナーがその時、売り切れても販売できるもの、例えばパウンドケーキやボンボンショコラを作れる人を探していたんです。僕はもう少し海外にいたいからワーキングビザが欲しくて雇い主の協力が必要だったので、そこで雇ってもらいました。

 

(実際にお店で販売しているパウンドケーキ)

 

-デュオパティスリーでは主に新しい商品の開発をやっていたのですか。

 

平山さん:そうですね。とりあえずチョコレートを12種類とパウンドケーキ、それから焼き菓子が(当時は)あまりなくてそこが伸びしろだと思って数増やしました。ケーキに使うチョコレートのデコレーションはこっちに丸投げでしたね。最後の1年は新型ウイルス禍もあったけど、その前からもう1店舗新しく出すという話があって。新店舗ではクロワッサンメインでアイスケーキやジェラートやりたいと(オーナーから)言われていたので、その試作もしていました。

 

 

商品開発は納期などが決まっていたのでしょうか。

 

平山さん:あまりなかったです。自由にやらせてもらっていました。ただ、気を付けていたのは、例えば『5種類考えて』といわれたらそれより多くの数を考えるようにしていました。そうしたほうがより良いものを選んでもらえるし、選ぶ楽しさもある。それが上の人からの評価につながりますし。

 

商品を開発するときにはどのような点を重視するのでしょうか。

 

平山さん:フレーバーがあまりかぶらないことや、ショーケースに並んだ時の彩りを重視しているかな。キラキラした商品が少ないならキラキラしたものを作ろうとか、柚子を使った商品があるなら柚子は避けてレモンやナッツにしようかな、とか。それでもフレーバーがかぶってしまったときはもともとあるものを下げることもありますね。

 

-専門学校卒業してからは、英語の勉強も含め多くの新しいことを経験したんですね。

次回の第2回では平山さんのこだわりが詰まったお店についてお話を伺いました。お楽しみに!

 

 

■CHOCOLATERIE NOIROUGE(ショコラトリー・ノワルージュ)

住所:〒950-2054 新潟市西区寺尾東1丁目11-20

TEL:025-201-7831

営業時間:10:00~18:00

定休日:Instagramのカレンダーにて確認

公式Instagram:https://www.instagram.com/chocolaterienoirouge/