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新越ワークス山後隼人さんと学生たちの集合写真

2024.05.10

新越ワークス 山後 隼人さん|(#友達の輪 vol.18)【道具から食文化を応援していきたい】

キャンバス
新潟で活躍している人々のつながりに迫る企画、『友達の輪』シリーズ第18弾。
今回は第17弾で取材をした「フードバンクつばめ」玉橋尚和(たまはし なおかず)さんからご紹介していただいた、「新越ワークス」山後隼人さんです。

新越ワークス 山後隼人さんの写真

<プロフィール>
山後 隼人(さんご はやと)さん
1993年新潟県燕市生まれ。新潟県立長岡高校卒業後、立教大学に進学し、大学を卒業後は早稲田大学大学院政治学研究科に進学した。社会人になるタイミングで新潟に戻り、祖父が創業者である株式会社新越ワークスに入社。

 

1.山後さんご自身や地元・燕市での活動紹介

 

-紹介人の「フードバンクつばめ」玉橋さんとはどのようなつながりがあるのですか?

 

山後さん
初めて(玉橋さんと)会ったのは「公益社団法人つばめいと」のインターンの受け入れ事業活動で、当時はまだお互いに学生でした。年齢も近いし、波長もあったのでそこから仲良くさせてもらっています。
燕市は僕らみたいな若者が相対的に少ないんです。少ないのはマイナス要因でもあるけど、その分団結しようとする力が強くなる。少人数だからこそ、つながりや絆が強いっていうパワーは次に繋がると思っています。
たまちゃん(玉橋さん)ともそういう話をしたりする機会が自然に出てくるんですけど、それは僕らの仲間の数が少ないからですよね。でもそれは悲観することではなくて、必然的に自分たちはそういうことを考えるから密な話し合いができるんです。

 

-現在の燕市では、チーム全体で協力し、共通の目標に向かって取り組んでいることはあるのですか。

 

山後さん:
実際に「ツバメクロスアクションズ」という団体の活動に参加しています。また、商工会や工業関係者などが集まって活動する任意団体も多く存在します。
この団体は、「ハレトケ」という日本酒を燕市のレギュラー酒にすることを目指し活動しており、他にも燕市の農業、工業、商業を一体化させて新しい価値を創造し、燕市の魅力を主体となって発信しています。
特に食文化に焦点を当てながら、地域の魅力を高めるために一夜限りのプレミアムディナーやイベントを開催し、地域の人々が一体となって活動しています。

 

-プレミアム…なんか高級な感じがしますね(笑)。

 

山後さん:
具体的には新潟の食の魅力を県外の人に知ってもらおう、というのをコンセプトに一夜限りのプレミアムなディナーを作る、という感じですね。食材、食器、調理器具、スタッフ、調理人、すべてを燕市でそろえるというのが基本です。食材や調理人をその地域でそろえる、というのはほかの地域でもやっていると思うのですが、燕市のすごいところは調理道具や食器までも燕市でそろってしまうところですね。

 

-燕市の魅力を一気に味わえるのは素敵ですね。

 

お話を聞く様子

 

-生まれが燕市ということは幼いころからものづくりが身近だったのでしょうか。

 

山後さん:
僕の場合、ここは祖父が始めた会社、ということもあって昔から取引先の方など、さまざまな方が家に遊びに来るわけですよ。そして来る人みんながうちのことを「新越さん」(旧社名は「新越金鋼株式会社」)と呼んでいましたね。そこから何となく祖父の会社がものづくりをしている会社なんだ、と認識し始めた、という感じですね。

 

-新潟に戻ってきて新越ワークスで働こうと考えたきっかけは何かありますか。

 

山後さん
大学で自己紹介をしたときに自分の地元の魅力、例えば「スプーンの生産の95%を担っています」と話すと、みんなから褒められてそれが本当にうれしかったことがあります。そのときに燕市や新潟っていうのが自分のアイデンティティだな、ということに気づきました。あとはユニフレームの展示会を東京でやったときに手伝ったりもしていたので。

 

-県外にいて地元のことを褒められるのはうれしいですね!

 

2.株式会社新越ワークスについて

 

-次に会社のことについてお聞きします。公式ホームページを見てみると若い社員さんが多い印象を受けましたが、なにか採用で工夫していることはあるのですか?

 

山後さん
会社の経営思想として、「人を育てることが最も重要であり、人という資源が一番の宝である」という考え方を掲げています。この理念のもと、10年ほど前から新卒採用を開始し、近年では毎年6〜7人の新卒を採用できる体制を整えてきました。2015年には新しい社屋を建設し、さまざまな取り組みを通じて会社をリニューアルし、次世代につなげています。新社屋はきれいな工場で、良い環境で働くことが良い成果を生み出すという考え方を体現しています。社員たちも、会社が清潔でオープンな雰囲気を持っていることを高く評価しており、このような環境で働くことがアイディアや製品の品質向上につながっていると感じています。

 

-私も就職活動しているときには、会社の雰囲気はけっこう重視していましたね。

 

-大学生のインターンなども受け入れているのでしょうか。

 

山後さん
たくさん来ますね。そこからうちの会社に就職してくれる人もいます。大学で勉強していた分野に合わせた仕事を任せたいな、と考えているので、例えば心理学の子が来たら心理系のアプローチで商品開発してみよう、とか活躍の幅は文系理系問わず採用しているつもりですね。

 

(ショールームで説明する山後さん)

 

3.山後さんが開発に関わった商品の紹介

 

-次に、山後さんが開発に関わった商品を教えてください。

 

山後さん
ついに来ましたね(笑)。時間足りるかな…?
まずはこれです。僕が一番初めにこの会社でつくった商品はこの「てぼラシ」です。名前の通り、「てぼ」(ラーメンなどの湯切りに使われるざるのこと)を洗浄するためだけの道具です。とは言っても、いろいろなものに転用できるので便利な道具として使っているんですけどね(笑)。カーブのところがてぼの内側にフィットするのできれいに洗えるんですよ。

 

てぼラシの説明をする山後さんの写真

 

-この商品を開発しようと思ったきっかけは何ですか。

 

山後さん
ラーメンのプロダクトは多く作っているんですが、営業で入ったときにラーメン屋さんの裏側は知らなかったんです。だから「いろいろ教えてください」って店主の方に言ったら、「お前何も知らないんだな」って言われて(笑)。
そこから休日にお店に伺ったり、イベント出店の際に後ろについて洗い物したりしていくうちに、ふとした会話のなかで「てぼにつく汚れってしつこくて、食洗器にかけても汚れが残っている」と気づいて、実際に自分も手洗いするときにたわしで手を切ったことがあって…。これはアルバイトの子も同じ思いしているんだろうから、洗いやすいブラシがあったらいいなと思ったのがきっかけですね。
そして、たまたま展示会で見つけたブラシ屋さんがすごく良かったので、「てぼ専用のブラシをつくりたいです」とお願いしました。何回かトライしてお店に持っていったら「すごくいいよ」と言われてこの商品ができました。

 

-「てぼラシ」という商品名も興味をひく名前ですね!

 

山後さん
ブラシは他にもあって、てぼ専用のブラシだったのでそのまま「てぼ専用ブラシ」でも良かったんですよ。業務用だし。でもなんか名前つけたいなと思ったときに、たまたま当時の社長が武蔵野大学コピーライティングゼミとセッションしていて。
ゼミの学生に相談したら、「てぼラシ」という名前が出てきて「めっちゃいい!」ってなりました。てぼとブラシを掛け合わせて、かつシンプルで呼びやすいですよね。

 

(てぼ専用ブラシ 「てぼラシ」)

 

山後さん
次はそうめん用のてぼですね。

 

-そうめん用って、わりと珍しいですね。

 

山後さん
そもそも、そうめん屋さんが珍しいですよね(笑)。東京にあるそうめん屋さんの店主さんが、うちの会社の一番細かいてぼを使っていたんですけど、麺が抜けてしまうと相談されたんですよ。初めはそうめんのお店ってラーメン店よりも圧倒的に少ないので、あまり考えなかったんですけど。
それで話を聞いてみたら、細かい網目でてぼを作れる業者さんが無くなってしまったということで、本当に困っていたみたいなので最初は特注でつくろうと思ったんです。でも他にも困っている人はいるだろうから、自分たちのオリジナルの商品にしようと思ってつくりました。
細かい網目で理想の形に作り上げるのに、工場に頼み込んで完成までに3年くらいかかりましたね。このときに工場に何度も行ったので、僕自身かなり勉強することができました。
今ではそうめんをサイドメニューとして置いている飲食店もあるので、だんだんと動き出しているっていう感じですね。

 

そうめん用のてぼ

 

山後さん
あとは自分のなかで思い入れがあってヒットした商品と言ったら、この酒器ですね。もともと、シンプルな形の酒器は自分が会社に入る前からあったんですよ。何も柄が描いていないものですね。10年くらい前に、「にいがた酒の陣」で販売したら盛り上がったり、金属酒器で乾杯するという運動が盛り上がったりもしていたようで、この酒器もその影響で当時は人気が出たようです。ただ近年ではその勢いも落ちてきて次の展開を探している状況でした。
あとは、金網ザルを海外の展示会に出すタイミングがあったのですが、海外のバイヤーたちに目を向けてもらうには、訴求力がザルだけだと弱くて…。ザルは消耗品なのであまり惹きつけられなかったんですよ。そこでアイキャッチとなる商品を考えていたら、温度で色が変わる転写の技術をもつ岐阜県の方と知り合って開発を始めました。

 

(冷たい飲み物を入れると変化する酒器 変化前)

 

(変化後)

 

-面白さがあって、これは惹きつけられますね。

 

山後さん
器自体の素材も日本酒と相性がいいので、それだけでもおいしいと感じられるんですけど、そこに視覚の楽しみも加えて「注ぎたくなる」というような仕掛けを施す、というのが狙いでした。日本酒は誰かに注ぐ・注いでもらって飲むという所作・慣習があるのですが、人と人がつながる瞬間が日本酒の文化のなかに根付いているのですごく日本らしいなって思うんですよね。

 

-柄も春夏秋冬で季節感を味わえますね。

 

山後さん
そうですね。お土産やプレゼントとしてその季節の柄を購入する人もいればセットで購入するひともいますね。老若男女、国籍を越えてという感じです。

 

(冷たい飲み物を入れて酒器の柄が色づく様子)

 

-厳選した商品のお話ありがとうございます。まだまだお話は聞けそうなのですが…

 

4.山後さんの今後の展望

 

-今後の展望を教えてください。

 

山後さん
僕は好きなこととか、夢中になることが常に人生のなかで変化していきます。学生の頃は野球、大学では哲学、新潟に戻ってきた頃はザルなどのものづくり、みたいな感じで。今、夢中になっているものはお茶とラーメンです。
お茶は人気がコーヒーに負けている印象がありますが、日本茶の魅力を伝えていきたい、と思っています。道具から食文化を応援していきたいですね。ラーメンでは、道具をプロの人たちに寄り添って作っていくうちに、新しい面白い世界が見えてきているな、と感じます。
調理の世界も人手も少なくなりどんどん厳しくなっていくので、道具で解決できることってまだまだいっぱいあるな、と感じています。ラーメン屋さんとこれからのラーメンの未来を一緒に考えていきたいです。外食産業は一見、必須産業ではないと思われがちな側面もありますが、例えば災害が発生したときや、一人暮らしでご飯がないときとか、心身がボロボロのときに食べるラーメンってすごく美味しいですよね。だから人にとって心の栄養のためにも一番必要な産業なのかなって考えています。

 

山後さんからお話をお聞きしている様子の写真

 

 

ものづくりの会社は理系で男性が多いというイメージがありましたが、文理関係なく、老若男女問わないものづくりはさまざまな面から支えることができ、とっても身近なものだなと感じました。限られた時間のなかでしたが、山後さん、ありがとうございました。

新越ワークス スリースノー事業部
山後 隼人さんの「たすいち」

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