たべる
FOOD
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文化とは、地元の人にしてみれば当たり前で、わからないものだと思います。
世の中から評価されて初めて地元の人は気づくものです。鮭なんて別にたいしたものではないと思っていた人でも、世の中から「村上の鮭料理は素晴らしいですね」と言われて、初めて本当の価値に気づくものです。
孤軍奮闘する父を助けるために、村上に戻り7年経った時です。東京の百貨店の物産展で鮭の製品を販売する機会がありました。そこで村上という、地名が書かれているのれんを見て、「おお、村上から来たのか。おれ村上のことをよく知っているんだ」と尋ねてきてくれた人がいました。その方は、全国町並み保存連盟の五十嵐大祐会長(当時)で、私の町づくりの師匠になります。
五十嵐さんから「村上は歴史の素晴らしいものを残している町だから、商店街の通りが近代化されるということは、城下町の価値を著しく失うばかりじゃない。道路を広げて成功している地方の商店街なんていうのは、全国に一つもない。大変なことになるから、お前はそれを食い止めろ」と言われました。
村上市では当時、道幅を6.5mから16mに広げる計画がありました。そのようになったら町屋が壊されて、みんなどこにでもあるような新しい街になっていく。そのようなことをしたら、本当に町の価値がなくなってしまう。
私が訴えても「お前、何言っているんだ。一生懸命みんなで頑張ろうとしている時に反対のことを言うな」と責められました。
話はとにかく近代化ありきでどんどん進んでいく。
なんとか方向を変えたいという思いでいっぱいでした。
東京で出会った五十嵐さんから「村上の町に価値があるんだ」と教わったわけですから、もし本当に価値があるのだったら「価値のある古いものを生かして、村上の町を活性化させていこう」と思いました。
もしそれができれば、古いものの価値は見直され、村上の進む方向を変えることができるかもしれないと思ったのです。
ではそのために何ができるか。
でも、私は、古い村上の良さが、全く分かりませんでした。都会に出て外を見て帰ってきたのに、いつもと同じ村上にしか見えなかったです。
だから、「外に出て帰ってきて、地元の価値に気づきましたか?」と言われたら、何も気づけなかった。
ようやく村上の良さに気づけたのは、必死になって町づくりをしようと思い、ほかの町に行って「何が違うのか」「魅力は何か」を比べて、意識して、町を見た時でした。
例えば、長野県の妻籠宿(つまごじゅく)という歴史のある街で、いわゆる観光客が集まるようなところの人が、「村上がうらやましい。ここには村上のような文化はない」と言ってくれました。
「どういうことですか?」と聞くと、「うちにはお祭りもなければ、鮭の食文化もない。お茶どころや木彫りの文化も何もないのです。村上は城下町で、町の周りを人が入って来られないように囲って作った街です。その中で培われた気質が保守的だとか排他的だって言われますけど、文化は蓄積されていくという素晴らしさがあります」。ああ、村上の良いところってそういうところか。村上の人からしたら当たり前だから、それがゆえに気づけないことだと思いました。
ただ当時、商店街はサッシや半端なアーケードで覆われていて、外観は城下町というよりは、どこにでもある、地方の町並みにしか見えませんでした。
町おこしの私の師匠である五十嵐さんを、初めて村上に招いた時「お前、町を変えたいんだったら、(自分の店の)この汚いアーケードを外せ。必ず、人が来るようになるからだまされたと思ってやれ」と喝を入れられました。その一年後に店を、新しくではなく、今のように古くしたわけです。
村上の外から見た価値は全くわからなかったのですが、ある時、九州から(店の天井からぶら下げられている)この鮭をみたいって、雑誌に載ったのを見て訪ねてきてくれた人がいたんです。
鮭を見て喜んでいたその方は、その後神棚や仏壇、囲炉裏のある茶の間を見て、「いいな、いいな」と言っていたものですから、「えっ?」と不思議に思った時、不意に納得がいきました。
もし自分が、東京で生まれ育って、ポンとここに連れてこられたら、きっと驚く。外から見ていいところがないわけですが、中に入ったら、この町屋の中の生活空間に、まさに本物が残っていた。これこそが村上のシンボルとなり得るものだと思ったのです。
ここから村上の町づくりが始まりました。
(昔の雰囲気漂う、とても落ち着きのある空間)
いくらいいものだって日陰の存在であったのでは、その価値を発揮できません。
そこで、家の中を公開するという取り組みを始めました。私が一軒一軒訪ねて、協力してくれるところを募りました。手書きのマップも作りました。
そうしたら、それまで観光客がゼロだった町の中に、マップを持って町を歩く人の姿がパラパラと見られるようになりました。この1枚のマップが村上を大きく変えていく力になったのです。
そこで、「もっと強い光を町屋に当てて町に大勢の人が来たら、きっと村上やこの町屋が評価されるのではないか」と思いました。その一つが春に行った「町屋の人形さま巡り」です。参加店が60~70軒あり、元気が失われているこの町を活性化させるために、町屋の生活空間に人形さまを飾り、一軒一軒見て歩いて巡ってもらうというものです。
(多くの人が訪れた「町屋の人形さま巡り」)
(「町屋の人形さま巡り」で展示された人形)
この人形さま巡りを絶対に成功させなければ、とテレビや新聞、ラジオなど思い当たるところにすべて連絡をとり、紹介してもらおうと計画しました。ダメ元でトライしたテレビ局の全国放送にもつながり、それをきっかけに全国から大勢の人たちが押し寄せてきました。そして、その人たちが、口々に村上の町屋や人形を素晴らしいと褒めていってくれたのです。これが町の人の意識を変えていく力となっていきました。
例えば私が村上の町について「価値があって素晴らしい」「歴史の大切なものなんだ」と言ったところで、地元の人たちの耳には届かないです。
町の価値とは、外から来た人に言われて、初めて気づかされるものです。それは鮭料理も同じでした。外からの評価によって、初めて地元の人が、自分の持っている町の価値に気づいて、そしてそれを見直していくのです。
この春の人形さま巡りに続き、秋には「町屋の屏風まつり」を開催し、賑わいを増していました。さらにその後、市民の力で景観づくりまではじめ、「黒塀プロジェクト」では、黒塀一枚1000円運動でお金を集め、町の中の小路を黒塀に作り替えていきました。その後、サッシやアーケードの町屋の外観を昔の姿に戻す「町屋再生プロジェクト」を始め、市民で景観づくりを進めていきました。これらの取り組みで、一年を通して村上に観光客が訪れるようになり、町の活性化につながっていきました。
その1:そのカギは…お茶
今後について、新しくやり始めたものが、お茶の店です。村上は北限のお茶どころで、これ以上、日本の北ではお茶が取れないというのが村上です。村上には、家を訪れたお客様に、その家の主人がお茶を入れてもてなすという風習があります。お茶どころにあってこのような風習は他の地域では見られないものです。
私の父は座敷に上られたお客様には、自分の茶道具を出してお茶を淹れました。そこで淹れるお茶は、その家によって味は違いますけれども、本当に特別なお茶でした。茶葉の出汁のような、濃くてコクのあるお茶。それを飲むと、みんな喜んでくれるんですね。
そういった風習に基づいた文化を体験できるようにしたいと思い、壊されるかもしれない建物を借りて、大改修をしました。それで新しくできた店が、村上茶を楽しめるお茶サロン「嘉門亭」なんです。
(「茶館きっかわ嘉門亭-KAMONTEI-」の店内)
(「茶館きっかわ嘉門亭-KAMONTEI-」では、お茶一滴を大切に入れる)
こういったものは今まであった文化だけれども、そこに少し磨きをかけることによって、それまで見えなかったような新しい価値が生まれてくるのです。町の古民家はそのまま古く使っているだけでは、廃れるだけだったと思います。だけど、今はこうやって人が来るようになる。まず、このように文化に磨きをかけるということが一つです。
(嘉門亭の一口菓子)
(嘉門亭の一口菓子 村上茶や話題のアフタヌーンティー、茶器ショップもある。カフェは今後オープン予定。https://www.murakamisake.com/kamontei/)
その2:発酵熟成の世界
もう1つは、発酵・熟成の世界の追求です。「千年鮭きっかわ」は江戸時代末期から造り酒屋を営んでいて、麹を使って味噌作りもしたりしていました。それに塩引き鮭や鮭の飯寿司、これらは発酵の世界でしょう。うちは発酵食というのがやはり軸にあるので、日本で大切に食べられてきた発酵や熟成というものをテーマにして深めていきたいと思っています。
村上が長い歴史を通じて独自の文化を築き上げてきたことが分かりました。これまでの伝統的な鮭文化や町文化を継承しつつ、新しい形で表現されていく村上の魅力に期待大です!
■千年鮭きっかわ
住所:〒958-0842 新潟県村上市大町1-20
電話:0254-53-2213 営業時間 9:00~17:30